ツリー型タブがFirefoxでGW中使えないときがありました(修正済み)
10連休だ何だといっていたGW中にそれは発生。
Firefoxでアドオンが使用できなくなりました。
Firefoxにおける『ツリー型タブ (Tree Style Tab)』への依存が大きかった私にとってこれは痛手でした。
5/4
そしてなんやかんや修正。
5/6
『GW中』というのがまたなんとも言えないタイミングというかなんというか。
このアドオンが使用できない問題、本家の「Firefox」はもとより「Firefox Developer Edition」でももちろん健在でした。
当初本家の方で「ツリー型タブが...動かない...だと...」状態になった際、Developer Editionの方はどうだろうとそれを起動するとツリー型タブが動きました。
よっしゃよっしゃと思ってDeveloper Editionを使っていたのもつかの間、いつのまにか(なにかの拍子に)表示が切り替わり、アドオンが不可に...
問題の修正の適用タイミングは環境によって異なるとは思いますが、私の体感(夕方以降のFirefox使用)では、
Firefox → 5/6
Firefox Developer Edition → 5/7
といった感じでした。
Developer Editionで5/6夕方以降に「Firefox について」より更新を確認しましたが、特には更新はありませんでした。
何かに依存するということは、それが何らかの原因で動かなくなったときに困るということに繋がります。
現に私は「ツリー型タブ」に依存していたため、今回のアドオン騒動では困ったことになりました。
特にアドオンを使用していないピュアなFirefox使いにとっては無傷であったでしょう。
(それはそれでFirefox使いとしてはもったいないような気はしますが)
そんな令和真っ只中なGW中のFirefoxの思い出でした。(おそらく令和は関係ない)
アウトプットは何でもいいからやるといいかと
アウトプットといってもさまざまである。
この媒体であるブログでもよし、紙に書いてもよし、人に何かしら伝えてもよしである。
そんなアウトプットは何でもいいからやるといいのでは、という自身への戒め。
アウトプットできるということは大なり小なりそこに書かれていること書こうとしていることに対して説明ができるということである。
説明ができないとそもそも何もそれらに対して書くことや伝えることが無い。
いっそ「ヤバい」でもいいからアウトプットしたほうが、何もアウトプットしないよりは良いことなのでは、と。
人は忘れることができるなんとやらとはよくいったもので、忘れることができるからツライこともどうたらこうたら…なんとやらである。忘れた。
ただ往々にして大事なことを忘れたり、全体や大局は憶えているけれど細かなニュアンスだったり、そのとき何を思っていたかだったりを数日経ったら忘れてしまう。
そんなときはとりあえず「書く」というアウトプットをしたらいいのでは。
決して頑張らなくていい、ただ一行ただ一言でもいいからアウトプットしておくといい。
メモを見返す見返さないにかかわらず、「とりあえず書く」をしたら書いたことは憶えているかもしれない。書いたことを憶えていたらまた見返せばいい。色々忘れたけど何かしらその部分を「書いた」記憶が少しでもあればPCなりスマホなりで調べようとできるかもしれない。
ネットの普及で調べることへの手段は増える一方であるが、そもそも調べることを忘れては何も調べられないのである。
『忙しいとか、魔の呪文「明日でいいや」など色々なことが起こる日々の中で、何でもいいからアウトプットする』というのは習慣として自然にできるとそれが一番いい。
個人的には何か一冊家用のメモとか(普通紙の塊でもいい)を目のとどく範囲にまずは置くのがよかった。書くことへの敷居をひたすらさげて、各内容も「ひとことでいい」とこちらの敷居もさげておく。
数ヶ月間何かなんやらどんどん時間が過ぎて、自身が手に入れたいはずの分野の情報を見逃していたことがとてもショッキングだった。
「アウトプットしなくてもインプットしておけば、インプットのほうは何とかなるか」とはならないことを痛感した。
早速この「痛感した」ことを書いた。
とにもかくにも、ここに書く書かないにしろ何かしらアウトプットしたらそれはインプットにもつながると考えておかないといけない。
あっという間に今この日々が過去になるというのに、考えややったこと等々が残らないままというのはおそろしいことだなと。
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椅子カデゴリが「isu」(だった)
アマゾンズチョイスの椅子が「isu」だった。
isu。
これは状態だったのが2018年の夏頃。
今はというと...
なんだかisuより安心する表記である。
去年、このアマゾンズチョイスが出た頃は表記自体がisuのようなローマ字だったりあいまいな表記だったりしたものが多かったように感じた。
手探りのような表記も散見されたような気はする。
そんなアマゾンズチョイスだけれど、すっかりAmazonの商品ページ内に溶け込んでいて、そこに書かれている言葉をここ数ヶ月はしっかりと見ていなかったかもしれない。
今になって読んでみると当初のような曖昧じみた表記はなくなってきているのではないかな、と思った。
isu が懐かしく感じ、その商品ページを見てみた。
isu どころかアマゾンズチョイスですらなくなっていた。
懐かしさと世知辛さを感じた今日このごろであった。
引用画像
Amazon商品ページより
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なんやかんや記事が増えていくとアクセスは微増していく
良かったことやよくわからなかったこと
良かったこと
・とりあえず書いてみたこと
何が何だか分からない部分も多かった。
とにもかくにも書かないと記事は増えない。
「~です。」「~と思う(思います)。」「~ですね。」ばかりの文末になっていたり、何をいいたいのか自分で読んでもよくわからなかったことも多い。
以前に比べてブログという形式の中でどう書いたら良いかが掴めてきたような気はする。
・記事の蓄積
関連記事、アクセスの多い記事 の表示が増えていくと嬉しい。
アクセスに関係があるかどうかわからないもの
そもそものアクセスの少ない私のこのブログにとって、これは置いても置かなくてもあまりアクセスには関係はないように思った。
たまにクリックしている人を確認できるとそれはそれで嬉しい。(人が見た・人の動き、をクリックをみることで実感できた)
検索用のロボットではなく人がいたことが実感できた。
・Google アナリティクス
これを使用したからアクセスが増える、ということはありません。
より数万アクセスのある人はページあたりの滞在時間の情報などからこのサービスを存分に活かせるのではないかと。
記事数があったほうが自身も楽しい
とりあえずこれに尽きるのでは、と。
パラダイスがロストしたのだと思う
つけたままのテレビの前を通り過ぎた。
そのときに流れていたのは『築地市場の歴史に幕がおりた~』のニュースだった。
いつもならテレビがついているだけの光景だったものの、その映像に使用されていたBGMが「ZONE//ALONE」だったために少し驚いたのと「なんでZONE//ALONEなんだろう」というひっかかりがあった。
自分なりに考えたのは、『Paradise Lost(茅原実里)』と絡めた選曲だったのではないか、ということである。
テレビの映像を作成する過程の事情はよくわからない。
映像の切り貼り(編集)や効果音の追加の作業は人の手によるものだろう。そのなかで、若干その人の意思(メッセージ)のようなものが入るとすれば、そんなことも起こり得るという気はしてくる。
築地市場の移転ということは、築地が好きな人々にとっては痛手であろう。
ということはお魚類のパラダイスである築地がロストしたということで『パラダイスロスト』なのだろう、と。
このままド直球に「Paradise Lost」をBGMにするのはひねりが無いため、茅原実里さん関連の選曲で「ZONE//ALONE」になったのかなぁと。
なんだか自分でも文章を読んでて何を言っているのだろうという気がしてきたが、テレビで流れてきたときに感じたひっかかりはこのような考えで解消されたように思う。
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