あした思い出すよう

あさってもその次も

過去の自分のブログ記事を見てなるほどーと思ってしまった

過去の自分のブログ記事を見てなるほどーと思ってしまった。

https://ashitaomo.hatenablog.jp/entry/2021/08/09/235615

 

たしかにこれは私だわ、と。

 

当時の私は、その「人そのもの」にものすごく悩んでいた。

…いや、人間関係というよりも、会社の上司に悩んでいたというところが、記事からすごくよく読み取れた。

 

​結局のところ、その上司が存在していること自体に、何か苦手意識を持っていたのだろう。

上司の言動や行動、そしてそれが自分自身へ及ぼす影響みたいなものに、なんだかすごい疲れていて。

​「家で、さて、どうしたものか……」

​そうやって家でぐるぐると考えている時の状況みたいなものが、当時のブログ記事から実によく読み取れる。

自分自身が書いたものなんだから、そりゃそうだろうという感じではあるのだけれども。

​それでも、その時自分が思っていたことを「俯瞰する」という意味では、すごくわかりやすい記録になっているような気がする。

 

結局のところ、私は「その人そのものに対する悩み」というものが多いのだな、というところが改めて読み取れた。

​すでに5年も前の記事ではある。

​当時の私は、その上司の行動やいろんな言動に対して、「さあどうする?」という感じで、俯瞰的にどうにか対処法を考えようとしていた。

​また、当時は何かしら資格的な部分での悩み(勉強のプレッシャーなど)もあった時期だった。

だからこそ、自分が精神的にしんどい時に、そういった悩みがより深く重なってしまったのだろう。

​上司のあれこれによるストレスと、資格の悩み。

それらの影響を、当時の私は悪い意味で強く受けすぎていた。

お互いが悪い意味でシナジーを増しているような、そんな感じ。

そうなってしまっていたんだろうな、というのが、当時の文章から伝わってくる。

​それと「まさに私だな」といった感じ。

 

​基本、人に対する悩みで言えば、人に言われたことみたいなものを、今の私は若干引きずり気味であるようにも思う。

​人との付き合い方について振り返ると、当時はすごくその上司に悩んでいたけれど。

でも、そういう上司もいる、という部分については、時間が解決してくれたようにも思う。

​自分に合わない人というのは、世の中にたくさんそりゃいるよな……という考え方だろうか。

こういうことを、一般論として、一般的なこととして心から受け入れられるようになると強いのかな、なんて思ったりはする。

 

​世間一般的に昔からよく言われていることではあるけれど。

「自分自身に合わない人というのは、世の中にたくさんいる」

​

そりゃそうか、くらいな考え方になると少しは混沌とした世の中との付き合いかたが変化するのかもしれない。

 

そんなこんな。

ネットの海と、10年目のはてな

ネットの海と、10年目のはてな

 

​この頃のインターネット界隈で、テキストベースの情報というものが、なかなか「見えづらく」なってしまっているな、と思う。

 

​明らかに投稿頻度は多かったり、思うものも増えてきたりはしているのだけれど。

検索の上位にはどこかしらのショップや商品のサイトが溢れ、レビューと言っても企業の息がかかったようなものが上位を占める。画像検索でも同じような状況で、基本的な商品画像が同一の、求めていないものばかりがヒットしたりする。

 

​個人が出す情報や、生の声としてのレビュー。

そういった「個人の情報」への到達難易度は、ずいぶん高まっているような気がする。

​そんなこんなで、ふと自分のブログの記事一覧を見ていると、

「あ、この時はこんなことを考えてたんだな」

という、自分自身のコンテンツというか、自分が思っていたことの記録が、確認するのにものすごく役に立つなと思う。

 

​ここ数年の記事の少なさには、自分でも笑ってしまう。

​2年くらい前の記事では、年単位で落ち込むことについて自分自身が書いていた。

確かに今の自分にも言えることで、「あぁ、年単位で落ち込んでいるな」という部分は確かに今もある。

 

​「自分自身のブログを楽しむ」みたいな感じの方が、ブログ(の記事)も届けやすいのかな、なんて思っていたら、そのまま数年経つ。

それが私の日常であり、まあ、それも含めて私だな、とは思う。

 

​そんなこんなで、このブログもいつの間にか10年が経った。それもまた、驚きを禁じえない。

 

​元々は「とらのあな」のポイントサービスについて、色々と言っていたような気がする。

不思議なもので、記事を書いている時の心情みたいなものは結構覚えている。「どうにか、とらのあなのポイントがどうにかならないかな」という思いだったり、Amazonが送料無料ではなくなった時のことだったり。

​そんな心情が、頭のどこかに残っている。

​まあ、その記憶が頭の容量を圧迫しているかどうかはさておき。

 

当時の記憶、そういったものを大切に記録しておける「ツール」として、これからもブログを活用できたらいいのかもしれない。

 

​そんなこんな。

面白いことを、面白いままに伝えるということ

今週のお題「私のまわりのすごい人」

 

面白いことを、面白いままに伝えるということ

​面白いことを面白いまま人に伝えることができるという人は、本当に素晴らしい。

結局その人は、話し方が上手なんだと思う。

​話し方、間(ま)、伝わり方。

そういったことを全て考えて、考えて話している。

​…というか、本人は自然体で話しているように見える。

 

だけど、多分その人の中では「こうして、こうして、こう言おう」みたいなパターンを、今までの経験の中でいくつも蓄積してきたのだろう。

​いろんな人の前で話すことを、本人がそう思っているかどうかはさておき、一種の「訓練」のような形にして喋り通してきたのではないか。

 

​「こういう反応があったから、今度はこう喋ってみよう」

​そんな風に試行錯誤を繰り返してきたんだろうなと、そんな風に思ったことがある。

​単純にそれはすごいことで、私も本当にすごいなと思う。

 

​その方とは最近会っていないけれども、人付き合いのスタンスも含めて、私の目にはものすごく上手に映った。

 

​面白いことを、面白いままに伝える。

 

​私は決して彼のようにはなれないかもしれない。

けれど、彼がしていた喋り方やその姿勢は、今でも私の中で大きな参考になっている。

 

完璧主義をやめるための6割理論

完璧主義をやめるための6割理論。

 

これは文字通りそうなんだけれども。だいたい6割ぐらいを頑張るとうまくいくことが多いんじゃないかなと。というのも、この6割というのは何かというとプロ野球のチームも優勝するためにはだいたい。6割勝てば優勝できるということを何かの本で読んだ気がする。あー。これはなるほどなという部分があって、完璧主義というほどではない、けれども、これをこうして合わして実行するためには、もうちょっとこの辺のクオリティをあれしてこれしてしないといけないかな、という考えが私の中にはよくあった。

 

このはてなの?文章だって。ここをもうちょっとこうしてから公開するのボタンを押したらいいのかなとか考える部分ではある。ただまあそこまでこだわってあれやこれやしても結果はあんまり大差ない。出版を控えた何かをするわけでもないから、その辺はもうちょっと気楽に変えていけたらなとは思いながら書いている。

 

6割ぐらいでいいから6割ぐらいでというのもどうかと思うけれども、そこまでどうか?とも思わなくてもいいのだ。ぐらいの気持ちでやっていきたいなとは思う。そうすると案外自分が思ったことみたいなものの。変化が記録されていって自分の思う、また、期待する結果が得られるのだと思う。

 

あんまり深く考えすぎないように、というのは自分の中の目標でもある。この記事だって、「さっきおめえ公開するボタンを押したばっかだろうが」と思うけれども、あまり深く気にせずに公開ボタンを押してみようと思う。もちろん文章の中に書いてある文言のチェックは必要だけれども。

 

そんなことを思う、今日この頃。

 

 

 

他人に対して厳しいときは、自身に余裕がない時なんだと思う

他人に対して厳しいときは、自身に余裕がない時なんだと思う。

 

文字通り他人に対して厳しいということは、なんだか自分に余裕がない時であるような気がして、この文章を書いている。他に対して厳しいというのは、例えば他人のアラを見つけてしまった時とか、そういう場面に出くわした時に、自身の頭の中にある感情がなんだか穏やかではない時があった。 

 

何かこう攻撃していい対象を見つけた、という時のような考えなのだと思う。実際は攻撃なんかしちゃいけないんだけども。

〇〇の店員さんなのになってあんなことをしてるんだ、という感情がふわっと出てきた。

わざわざ店員さんに攻撃しに行くと、それはそれでカスタムをハラスメントてきなそれになると思う。

 

個人的に気になるのは、商品を扱う店員さんとかが髪をボリボリしたり髪をいじったその手で商品を扱うという場面を見た時かな?

なんだかマジかと思う気持ちもあるし、そこまで店員さんに求めたところで、一体何になるのだという気持ちもある。

 

まあ、最初からそんなもんだと思ってできるのが一番いいと思う。本当に自分の思い通りになる世界を作ろうと思えば、お金に物をも言わせて一つの町をクリエイトして全て自分好みにカスタマイズしていくしか方法はないと思う。

 

だから他人に対してそんな厳しく思ったりした。ところで、何も変化は生まれないし、自分にいいことも起きない。

他に対して厳しい時というのは自身に余裕がない時なんだという風に思うとしっくりくる。

そういう時は疲れてたり、睡眠不足だったりすることがきっと多いのだと思う。

 

そんなことを思う今日この頃。