あした思い出すよう

あさってもその次も

PCパーツの「六角スペーサー」をしめたり緩めたりするやつ、について

PCパーツの「六角スペーサー」をしめたり緩めたりするやつ、について。

 

ashitaomo.hatenablog.jp

 

プラスドライバーでクルクル回す製品を探していた。
ただ、これってもしかして...

 

 

上記「ソケットドライバー」なるモノを手に入れたら解決するのでは?
これは...
このような解決方法があったとは...
どうもPCのスペーサーは「対辺5」というのでよさそう。

 

工具に詳しい人からすると上記工具の存在は『当たり前』なものだと思う。
私にとっては『そのようなモノがあったのね』レベルなのよね。

 

視野をひろく持つのは大切だなと思った今日このごろ。

 

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memo:
正直、ほしいのはサイズさんとこの『六角スペーサー楽々取付スタンドオフ(SCY-6SPRKSF)』ではある。
スペースも小さくすみますし、プラスドライバーで扱えるのが良い。
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このところセンシティブなニュースにすごく影響を受けている

このところセンシティブなニュースにすごく影響を受けて、こちらの気持ちがどんどん下がっている。
何だか辛いニュースとか自身が辛いなと思ったとき、そのニュースに対して自分が辛いなと思うとそのまま引きずられる感覚。
こちらの感情が下がっていくのがわかり、生産性が落ちるというか生活のクオリティまでさがる感覚がある。

 

辛いなあという気持ちに飲み込まれているのだと思う。
センシティブな事件やニュースへの耐性が低いのだと思う。

 

kotobank.jp

 

ニュースのサイトでそういった記事を見たときは、なるべく深追いはしないようにしたい。
ページ下の「関連」の項目から、そのニュースの続きは見ない方がいい。

 

こればっかりは自衛しないとどうしようもないなと思う今日このごろ。

 

感情的な人に負けない本 (ディスカヴァーebook選書)

感情的な人に負けない本 (ディスカヴァーebook選書)

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年単位で落ち込むのをどうにかしないとなと思う

年単位で落ち込むのをどうにかしないとなと思う。

 

一度落ち込むと結構ズーンと落ちこむ傾向にある。
そういうときは「どうにかしないと」と思うほどにはカラダを動かすような動作は少なく、考えている動作が多くなっている。

 

ズーンとした部分から抜けると「ああ考え込んでいるなぁ」と俯瞰できる。
俯瞰できたときがどうやら気持ち的に楽になっている状態なのだと思う。

 

人間、大なり小なり色々あるのよね。

 

そんなことを「考え」てみた今日このごろ。

 

エコーチェンバーな人を見かけたときは、自身を顧みる材料にしよう

エコーチェンバーな人を見かけたときは、自身を顧みる材料にしよう。

 

今日の献立:
 エコーチェンバーな人
 私
 その他

 

3分でもムリそうだし、ろくなものが出来上がらない気がする。

 

さておきエコーチェンバーの話。


何かを決定する立場の人がスマホ片手になにか調べ物をしているようだ。
「◯◯はこうではないか?」と調べている本人は思いながらその「こうではないか?」の内容を調べている。

 

「ここ(とあるサイト)に『◯◯はこう』って書かれているのがあったから印刷するね。皆、読んでね」
その、とあるサイトは数年前に記事として上がったものを、どこかの誰かが数年前に真似て(マイルドなコピー)出来上がった記事だった。

 

その何かを決定する立場の人は「こうではないか?」の自身の意見と合致するサイトに辿り着いていた。
それは、つまりは自身の意見を強化する意見のページに辿り着いたということ。
意図してたどり着いたのか、意図せず表示されるがままたどり着いたのかは定かではない。
結果として、自身の意見を強化するためにその人は検索を使用したということ。

 

私自身、ネットで何かしらを調べたりしたときは「個人サイト」「企業的な記事」「政府等の機関の情報ページ」かどうかはなんとなくチェックする癖はついている気がする。
実際のところ私もここ(はてな)の中に文章を打っている。
『この内容は、あああ だね」「あの、アレは、いいい だね」と打つのも自在だ。
自在に書ける分、ある意味それが魅力でもあり情報の精度的には危ういところでもある。

 

上記のエコーチェンバーにどっぷりの人を見たときは、その人をあざ笑うことは私はできない。
多分、知らず知らずのうちに自身も大なり小なり、その心地よさにはまっているだろうから。


その人に対して「もう、エコーチェンバーなんだから!」とプンプンしても、無茶苦茶なことになるだろう。
せめて心のなかで「エコーチェンバーぁ...」くらい思うのはバチはあたらないはず。
と同時にちょっと自身を顧みるのもわるくない。

 

そんなことを思う、今日このごろ。

フィルターバブルも心地良い

「ぼっち・ざ・ろっく!」をみはじめた。
徐々に各ツールからのオススメが「ぼっち・ざ・ろっく!」になりつつある。

 

フィルターバブルなる言葉があるけれど、見たくないものは遮断されやすくなる。
つまりは「みたいもの」が優先して表示なりオススメなりされるということ。
それを「ぼっち・ざ・ろっく!」を通して実感しているのが今である。

 

Googleの検索からAmazonの閲覧、画像用に作成しているTwitter(X)などで「ぼっち・ざ・ろっく!」的な動きをしていたら、そりゃそうなるわな、と。
上記の中だとGoogle検索の影響が大きい気がしないでもない。
Android端末を使用して検索していたら、そもそもOSがGoogleアカウントと連動していますし、ある程度は致し方ない。

 

「見たい」と思ってみている分、それはそれで良いかなとは思う。
すべてを俯瞰してインターネット上の情報をみるのは不可能に近い。

Twitter(X)では、オススメの通知内に「ぼっち・ざ・ろっく!」的な画像が出てきて、すごく捗っている。
「ぼっち・ざ・ろっく!」内の「あなたにオススメ」かもしれない情報がスッと出てくるのは中々便利。

 

フィルターバブルもうまく付き合うと心地の良いものだなと。
考え方がエコーチェンバーにならないようにしないとなぁ、とも思うけれど。

 

そんなことを考えた、今日このごろ。