あした思い出すよう

あさってもその次も

フィルターバブルも心地良い

「ぼっち・ざ・ろっく!」をみはじめた。
徐々に各ツールからのオススメが「ぼっち・ざ・ろっく!」になりつつある。

 

フィルターバブルなる言葉があるけれど、見たくないものは遮断されやすくなる。
つまりは「みたいもの」が優先して表示なりオススメなりされるということ。
それを「ぼっち・ざ・ろっく!」を通して実感しているのが今である。

 

Googleの検索からAmazonの閲覧、画像用に作成しているTwitter(X)などで「ぼっち・ざ・ろっく!」的な動きをしていたら、そりゃそうなるわな、と。
上記の中だとGoogle検索の影響が大きい気がしないでもない。
Android端末を使用して検索していたら、そもそもOSがGoogleアカウントと連動していますし、ある程度は致し方ない。

 

「見たい」と思ってみている分、それはそれで良いかなとは思う。
すべてを俯瞰してインターネット上の情報をみるのは不可能に近い。

Twitter(X)では、オススメの通知内に「ぼっち・ざ・ろっく!」的な画像が出てきて、すごく捗っている。
「ぼっち・ざ・ろっく!」内の「あなたにオススメ」かもしれない情報がスッと出てくるのは中々便利。

 

フィルターバブルもうまく付き合うと心地の良いものだなと。
考え方がエコーチェンバーにならないようにしないとなぁ、とも思うけれど。

 

そんなことを考えた、今日このごろ。