あした思い出すよう

あさってもその次も

エコーチェンバーな人を見かけたときは、自身を顧みる材料にしよう

エコーチェンバーな人を見かけたときは、自身を顧みる材料にしよう。

 

今日の献立:
 エコーチェンバーな人
 私
 その他

 

3分でもムリそうだし、ろくなものが出来上がらない気がする。

 

さておきエコーチェンバーの話。


何かを決定する立場の人がスマホ片手になにか調べ物をしているようだ。
「◯◯はこうではないか?」と調べている本人は思いながらその「こうではないか?」の内容を調べている。

 

「ここ(とあるサイト)に『◯◯はこう』って書かれているのがあったから印刷するね。皆、読んでね」
その、とあるサイトは数年前に記事として上がったものを、どこかの誰かが数年前に真似て(マイルドなコピー)出来上がった記事だった。

 

その何かを決定する立場の人は「こうではないか?」の自身の意見と合致するサイトに辿り着いていた。
それは、つまりは自身の意見を強化する意見のページに辿り着いたということ。
意図してたどり着いたのか、意図せず表示されるがままたどり着いたのかは定かではない。
結果として、自身の意見を強化するためにその人は検索を使用したということ。

 

私自身、ネットで何かしらを調べたりしたときは「個人サイト」「企業的な記事」「政府等の機関の情報ページ」かどうかはなんとなくチェックする癖はついている気がする。
実際のところ私もここ(はてな)の中に文章を打っている。
『この内容は、あああ だね」「あの、アレは、いいい だね」と打つのも自在だ。
自在に書ける分、ある意味それが魅力でもあり情報の精度的には危ういところでもある。

 

上記のエコーチェンバーにどっぷりの人を見たときは、その人をあざ笑うことは私はできない。
多分、知らず知らずのうちに自身も大なり小なり、その心地よさにはまっているだろうから。


その人に対して「もう、エコーチェンバーなんだから!」とプンプンしても、無茶苦茶なことになるだろう。
せめて心のなかで「エコーチェンバーぁ...」くらい思うのはバチはあたらないはず。
と同時にちょっと自身を顧みるのもわるくない。

 

そんなことを思う、今日このごろ。