あした思い出すよう

あさってもその次も

ヨドバシ.comの「あとで買う」

ヨドバシ.comの「あとで買う」

 

あとで買う

ショッピングカートに入れたものに出てくる「あとで買う」。

最近、上記のそれが「お気に入り商品」の機能よりも便利に感じてきている。

 

ヨドバシ.comのお気に入りの機能はそもそも個数制限がある。
サイト内商品をどんどんお気に入りに追加していると上限に達しそれ以上追加できなくなってしまった。

 

そこで、「あとで買う」を活用していく作戦。
(「お気に入り」のように「あとで買う」を使用していく)

 

「あとで買う」を活用していく作戦

まず、商品をカートに入れて「あとで買う」に移動する。
すると、カート内のページへ行くたびにカート内の一覧の下に「あとで買う」にしたものが表示される状態になる。


これはカート内の商品が0個でも同じ動作。

 

あとは買いたい商品をカートに入れるor商品ページまでとび、カートに入れることをすると、お気に入り内のリストを眺めるような動作でカートへ商品を入れることが可能になる。

 

実際「あとで買う」を実行しているだけなので、「あとで買う」の使い方としては間違ってはいないはずである。

 

余談、「お気に入り」内商品を複数削除する方法

「お気に入り」の商品を一つ一つ削除していくと時間がかかった。
『「お気に入り」に入れた商品を一つ一つ消すのはめんどうだわ』というときに役立つ方法。

 

例:「ゴミ箱」というお気に入りリストを作成する。

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その「ゴミ箱」リスト内へ、消したい「お気に入り」の商品を移動する。
その後、その「ゴミ箱」リストを削除する、という方法。

ゴミ箱リスト

この方法ならまとめて削除できる。

 

「あとで買う」感想

「お気に入り」のページへ行くよりカート内「あとで買う」へ行くほうがサイトの読み込みも早い気がする。
もちろん、お気に入りに商品を入れすぎていればそれだけ読み込みに時間がかかるため単純な比較はできないけれども...。

 

「お気に入りページの感じがAm○zonと違う」
といったところで何も始まらない。

 

「あとで買う」機能を活用することで、疑似的にお気に入りとして使用することができる。

 

今後も、ヨドバシのヨドバシなりの使い方を模索していきたい。

 

 

新しいものより以前のものへの懐かしさを求めるようになっている

アマゾンプライムになったのに以前みたアニメをみはじめるという。

せっかくなら新しいのを... とおもいつつ、「ガヴリールドロップアウト」をみていました。

 

けいおん!も10周年ということで再放送が始まっている今、この懐かしいものにひたる行為に拍車がかかりそう。 

 

 

安心感

「新しく何かに挑戦する」ということを人は年始に思い、始めた何かが継続するかどうかは人次第です。

「何もしないより何かをやってみてやめたらいい」とか「やらなさそうだからやらなくていいや」とか色々思うことも人それぞれだと思う。どちらかというと前者の「やってみる」が大事なんじゃないかなと私は思うのですよね。私の性格で後者を選ぶと多分何もやらなくなりそうで...。

 

アニメにしても新しい作品をみようとするとそれは「知らない」ことへのアプローチになります。「原作を知らないままアニメをみる」となるとよほどのテンプレートでないかぎりは「知らない」部分へのアプローチであります。

それらに比べて「知っている」作品。もとい、「みたことのある」作品をみるとき、どこか『安心感』をもってみている自分がいるような感覚があります。次の展開はもとより「一度みた」ものをみることで、より完成されたものをみる感覚という感じです。

 

殻にこもる

ただこの「安心感」はあまりにもどっぷりつかると視野が狭まるということにもつながります。なにせみた作品をみることをずっと行っているとそれ以上の広がりがなりのですから。

ガヴリールドロップアウト」のアニメにしても最初はこのガヴリールドロップアウトを私は知らない状態でした。そこから何かしらの情報をもとにこの作品を知りアニメをみて、この作品の楽しさを知り、単行本を探して...と、どんどんとひろがりを楽しむことができています。

ガヴリールドロップアウトをみないままその当時過去の作品ばかりみていたら上記の体験はできなかったでしょう。

 

なかには同時期にアニメをしていた「けものフレンズ」なる爆発力のすさまじい作品もありますが...。

 

楽しいものを楽しむ

アマゾンプライムガヴリールドロップアウトをまたみた私ですが、dアニメストアを契約した際にもこのガヴリールドロップアウトをみているのですよね。なんとこの歴史は繰り返す感...。

ほかにも「小林さんちのメイドラゴン」もdアニメでもアマゾンプライムでもみました。

なんどもみて思うのは「小林さんちのメイドラゴン」はみるたびにしぐさや表情に気づく点が多々あり、なんどみてもたのしいアニメです。

(しいていえば6話がわりと好き)

 

「(自身が)楽しいものを楽しむ」

これに尽きるような気はしますね。どっぷりなにかの作品やことにひたることができたら、それはとても幸せなことだと思います。

何か新しいものをみないと「いけない」といった使命感や強制のようになっては楽しいものも楽しめないでしょうからね。

 

「楽しみたいものを楽しみつつ新しい部分にも徐々に手をのばしていく」

これが理想であり目標ではありますね。

 

Ctrl+XよりCtrl+Cの方が安全

人間というものは色々と忘れる。

忘れることができる生き物だとか忘れることができるから辛いことも忘れることができるとかなんとかかんとか...です。

それは「切り取り」や「コピー」、「貼り付け」でも同じだということです。

 

文章ごと切り取ってしまう『Ctrl+X』(切り取り)ではなく、

元の文章はのこしたままの『Ctrl+C』(コピー)を使用したほうが安全だということです。

 

実際Ctrl+X(切り取り)したあと考えつく問題、

・もとの文章がなくなってしまう

・もとの文章に何が書いてあったか忘れたとき不便

・(Ctrl+Xし、Ctrl+Xした文章を忘れたあと)Ctrl+Cすると何をCtrl+Xしたか忘れたとき困る

・Ctrl+XしたあとCtrl+Xすると、最初にCtrl+Xした文章がきえる

...等々きりがありません。

 

 実際、Ctrl+Xしたあと何を切り取ったか忘れて何となく「メモ帳」へ貼り付けると 

「万代かなめは遊びたい」

「万代かなめは遊びたい」

 

Ctrl+X(切り取り)したのはそれだったかー。

やはり文章を扱うときはCtrl+C(コピー)が安全ということ。

 

万代かなめは遊びたい(1) (メテオCOMICS)

ツリー型タブがFirefoxでGW中使えないときがありました(修正済み)

10連休だ何だといっていたGW中にそれは発生。
Firefoxでアドオンが使用できなくなりました。

 

Firefoxにおける『ツリー型タブ (Tree Style Tab)』への依存が大きかった私にとってこれは痛手でした。

 

 5/4

forest.watch.impress.co.jp

そしてなんやかんや修正。

 5/6

forest.watch.impress.co.jp

『GW中』というのがまたなんとも言えないタイミングというかなんというか。

 

このアドオンが使用できない問題、本家の「Firefox」はもとより「Firefox Developer Edition」でももちろん健在でした。

当初本家の方で「ツリー型タブが...動かない...だと...」状態になった際、Developer Editionの方はどうだろうとそれを起動するとツリー型タブが動きました。

よっしゃよっしゃと思ってDeveloper Editionを使っていたのもつかの間、いつのまにか(なにかの拍子に)表示が切り替わり、アドオンが不可に...

 

問題の修正の適用タイミングは環境によって異なるとは思いますが、私の体感(夕方以降のFirefox使用)では、

Firefox → 5/6
Firefox Developer Edition → 5/7

といった感じでした。

Developer Editionで5/6夕方以降に「Firefox について」より更新を確認しましたが、特には更新はありませんでした。

 

何かに依存するということは、それが何らかの原因で動かなくなったときに困るということに繋がります。

現に私は「ツリー型タブ」に依存していたため、今回のアドオン騒動では困ったことになりました。

特にアドオンを使用していないピュアなFirefox使いにとっては無傷であったでしょう。
(それはそれでFirefox使いとしてはもったいないような気はしますが)

 

そんな令和真っ只中なGW中のFirefoxの思い出でした。(おそらく令和は関係ない)

 

アウトプットは何でもいいからやるといいかと

アウトプットといってもさまざまである。
この媒体であるブログでもよし、紙に書いてもよし、人に何かしら伝えてもよしである。
そんなアウトプットは何でもいいからやるといいのでは、という自身への戒め。

 

アウトプットできるということは大なり小なりそこに書かれていること書こうとしていることに対して説明ができるということである。
説明ができないとそもそも何もそれらに対して書くことや伝えることが無い。
いっそ「ヤバい」でもいいからアウトプットしたほうが、何もアウトプットしないよりは良いことなのでは、と。

 

人は忘れることができるなんとやらとはよくいったもので、忘れることができるからツライこともどうたらこうたら…なんとやらである。忘れた。

ただ往々にして大事なことを忘れたり、全体や大局は憶えているけれど細かなニュアンスだったり、そのとき何を思っていたかだったりを数日経ったら忘れてしまう。
そんなときはとりあえず「書く」というアウトプットをしたらいいのでは。
決して頑張らなくていい、ただ一行ただ一言でもいいからアウトプットしておくといい。

 

メモを見返す見返さないにかかわらず、「とりあえず書く」をしたら書いたことは憶えているかもしれない。書いたことを憶えていたらまた見返せばいい。色々忘れたけど何かしらその部分を「書いた」記憶が少しでもあればPCなりスマホなりで調べようとできるかもしれない。
ネットの普及で調べることへの手段は増える一方であるが、そもそも調べることを忘れては何も調べられないのである。

 

『忙しいとか、魔の呪文「明日でいいや」など色々なことが起こる日々の中で、何でもいいからアウトプットする』というのは習慣として自然にできるとそれが一番いい。
個人的には何か一冊家用のメモとか(普通紙の塊でもいい)を目のとどく範囲にまずは置くのがよかった。書くことへの敷居をひたすらさげて、各内容も「ひとことでいい」とこちらの敷居もさげておく。

 

数ヶ月間何かなんやらどんどん時間が過ぎて、自身が手に入れたいはずの分野の情報を見逃していたことがとてもショッキングだった。
「アウトプットしなくてもインプットしておけば、インプットのほうは何とかなるか」とはならないことを痛感した。
早速この「痛感した」ことを書いた。
とにもかくにも、ここに書く書かないにしろ何かしらアウトプットしたらそれはインプットにもつながると考えておかないといけない。
あっという間に今この日々が過去になるというのに、考えややったこと等々が残らないままというのはおそろしいことだなと。

 

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