あした思い出すよう

あさってもその次も

懐かしい気持ちになったアンドリューW.K.氏を含むブログ記事

とあるひとのブログを読んでいた。(以下、引用リンク参照)

 

wide-tree.hatenablog.com

 

途中に『アンドリューW.K.』氏に関する話題も書いてあった。
アンドリューW.K. ...
アンドリューW.K. ...
アンドリューW.K. ...

 

この方の音楽について私はよくわからないけれど、何かが頭にひっかかって思い出しそうで思い出せない状態になっていた。
そんなとき、頭に電流がはしって...

『祭りと聞いて我慢できずに駆け付けたアンドリューW.K.
の人か!!!

 

dic.pixiv.net

 

なんだか懐かしい気持ちと思い出せた喜びとが混ざりあった夜だった。
そんな今日このごろ。

 

テキストとインターネット

テキストとインターネット

 

今ノリノリなツールとしては、写真や動画といった視覚面に訴えるもの、だと思う。
InstagramYouTube、それこそTikTokのような、画像で訴えかけるものや動きのあるものが現代としてはノリノリなんだと思う。
動きのあるものや華やかな写真・画像といったものがセンセーショナルでなんだかワクワクするんだと思う。

 

テキスト系メディアが画像・映像系に対して分が悪いかというとそうでもない。
なんというか文字だけの記事等には画像映像系にはない『落ち着き』があるような気がする。
テキスト系メディアのそこが強みだと思う。
画像・映像がつくとどんなことでもなんだかよく見えるような気がする。
また印象の悪いことは余計に悪く見えるような気もしてくる。

 

もし画像が一切ないカラスに関する記事があったとする。
読む側は最初にカラスの実態についてのタイトルがあれば『カラスの一体どんなことが書いてあるんだろう』『どういった内容なんだろう』と思いながら読み進めていくだろう。
途中でゴミを荒らすカラスの実態について書いてあると、そういう『カラス被害』に関する文章なんだなぁと思い文章を読み進めていくと思う。

 

ただこれが例えばゴミ捨て場を荒らすカラスの写真が記事の一番最初に貼ってあったらどうだろうか。
その後に文章が続いても、読む人は最初からこの文章はゴミ捨て場を荒らすカラスについての文章なんだなあと思いながら読むと思う。
文章の多くを読む前からなんだかラベリングしているような感じ何だと思う。
なんだかそれはそれでなんだもったいないなと思ったりはする。
最初から内容をわかった気になり、その記事を読まないかもしれない。
また、カラスに興味のない人やカラスがそもそも嫌いな人はその記事のサムネイルだけでも読む対象から外れるかもしれない。
読む前から取捨選択になっているんじゃないかなあと思っている。

 

そういった時にテキスト型のメディアの強みって何だろうって思ったら変にセンセーショナルにならないということかなと思ったりもする。

 

『驚いたこと』な記事に驚いた系の写真を無理に入れなくてもいいし、『悲しいこと』な記事に悲しいを連想するような写真を入れなくてもいい。
驚きや悲しみのような印象は、読み手に委ねてくれるような記事は、なんだか落ち着く。

 

すっかりインターネットが浸透した2022年現在から20年ほど前。
ノートパソコンのパンフレットの表紙には、この2022年では考えられないような分厚さのノート PC を片手で持ち颯爽と歩くお姉さんが写っていた時代。
まだインターネットも『おそーい』そんな時代
 IT革命だったり、革命もはじけたりなそんな時代。
もっとインターネットってテキスト中心だったはずなのよね。
(というよりもテキスト中心じゃないと容量がパンパンになって大変なことになっていた時代だったともいう)

 

その時から存在するサイトというのは、なんだか趣味全開と言うか文章に熱量のあるサイトが多いような気がする。
今そのようなサイトがないとは言わないけれど、インターネットというのがそこまで身近じゃなかったそんな時代に、インターネットの世界に文章を書き綴る人の熱量というのは何だかすごくて、また、読んでいて楽しかったような記憶がある。
過去の事を言い出すときりがないけれど熱量のある記事に出会える率は高かったように思う。
(思い出補正かしら...)

 

そんな記事たちも時代の流れかサービスが終了したり、サービスが規約が変更になったり、
もう存在しないサイトというのは多い。
人々の記憶の中にある思い出のサイトもアクセスが出来なくなっているかもしれない。

 

昔を懐かしんでもインターネットが昔の状態になるわけではない。
わかっていてもちょっと懐かしんでしまうのがインターネットなのかもしれない。
でも今は昔じゃなくて今であって、今は今の事を考えなければいけない。

 

話が逸れたり戻ったりするけどテキストにはテキストの強みがあるから、テキスト的な文章の文化はこのインターネットで続いて欲しいなぁと思う。

どこかの芸能人の言葉で『自慢話』と『説教』と『思い出話』をしない方がいいと言っていたような気がする。
『20年前のインターネットは~』と、今の人々に言っても『で、なにそれ』で終わってしまうと思う。

 

なんにせよ、20年前のあの遅いインターネットには戻れない。

 

まあ今は今として色んな人が色んな情報を発信したりしなかったりする時代だから、そのなかから自身の好きな情報を集めに行く時代なんだろうと思う。
自分なりのインターネットの生き方(行き方?)、活用のやりかたというのを考えていこうと思う。

 

そんなテキストについて思う今日この頃。

背景色設定を『白』にした【はてなブログ】

背景色設定を『白』にした【はてなブログ

 

背景色設計はてな

 

今までのはてなブログの背景色を『薄い灰色』にしていた。(2016-2022)
それを思い切って『白』へ変更した。

 

ブログの背景色を変更するにあたって、「なにが思い切って」と感じる方もいるかもしれない。
私にとっては何かの設定を変えることは色々と躊躇することが多かった。
1つ設定をしたら、暫くはその設定のまま時間が経過していくことが多い。
そんなことを思いながら背景色を変更した。

 

今回のはてなブログ背景色を『白』にして思ったのは、
本文が見やすくなった
(個人差あり)

 

『何かしら背景には色をつけたいなー』
『薄めの色が良いかしらー』
なんて背景色を決定するにあたり考えていたと思うけれど、『白』い背景色に対して上記の感想を抱くとは自身でも意外だった。

 

色々やってみることが大切なのねー、と思う今日このごろ。

 

アドレスが変更になる前に、Search Console『アドレス変更』をしたほうがよかったっぽい

アドレスが変更になる前に、Search Console『アドレス変更』をしたほうがよかったっぽい。

 

前のアドレス

現在のアドレスhttps://ashitaomo.hatenablog.jp/

 

上記のashitaomo.hatenablog.jp/ に、アドレスが変更になった。
はてなブログProの設定(主にドメイン)にかかわる部分へは、Proをやめた場合その設定項目へアクセスができない。

 

他サーバを用いてドメイン変更等をしていたら、その過去のサーバ設定へアクセスすることも可能かもしれない。
ただ、今回のわたしの状況(はてなブログPro→通常のはてな)だと、前のアドレスを持っている証明(所有権)をすることが難しい。

 

いやー、しまったしまった。
検索からこのサイトへの流入も無くはなかっただけに、ちょっともったいなかったなぁと。
今現在(2022-07)では、自身のサイト名を検索すると過去のドメインがヒットする。

 

Search Console設定の『サイトマップ』も今のところ、
/sitemap.xml
/sitemap_index.xml
が上手く機能しているのかいないのかよくわからない挙動な様子。
(検出されたURLが減っている?)

 

『URL検査』をしながら、気長にみまもろうと思う今日このごろ。

自身の「アクセスの多い記事」を眺めた

2021-09 から 2022-06 のはてなブログPro期間の間で、一番アクセスが多かった記事はなんだろうとサイドバーを眺めていた。

ashitaomo.hatenablog.jp

 

ユーザー数の有無はさておき上記の「透過.pngWindows 11環境下で作成する方法【ペイント 3D使用】」が最も多かったと思う。

この頃は『Windows 11ってのでアレコレするぜ』熱が高まっていたときだった。
10→11 への移行ならある程度は慣れでいけて、細かな設定等になると探り探りな毎日だったように思う。

 

Windows標準インストールソフト縛り」というわけではないけれど、『標準環境でなんとか.pngを作成したい』が上手く記事になっていると思う。
その熱量もあってか結構検索流入があり、なんだか嬉しくなったのをおぼえている。
投稿時刻が01:30(夜中)なのがまたなんとも。

 

下手な鉄砲なんとやらで、やってみなけりゃ何事もわからないなというのがどの世界でもあると思う。
はてなブログProもその1つで、ドメインの取得をしたりリダイレクト設定のためにサーバをレンタルしたりと様々なチャレンジに繋がっていたのは自身への経験値になった。

 

自身の中にある『燃える「うぉー」な熱量ばかりを記事にしなきゃ』だと、それは自身のなかの「うぉー」とはちょっと違う感じになる。
ちょっと燃えた感じの気持ちを記事にするのが自身のなかでのちょうどいい「うぉー」なのかもしれない。

 

変人のサラダボウル 3 を手に取り夜が更けてゆく。
そんな今日このごろ。