あした思い出すよう

あさってもその次も

以前に比べて情報がひたすら流れていく時代になったと感じるインターネット今日この頃

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

『お題「わたしとインターネット』なるものを見かけた。

はてな20周年...。

「もうそんなに経ったのか」と感じることが増えるにつれて、現行のいわゆる「若者」たちとの距離を感じていく。

「へんな会社」のつくり方』が2006年だからそれからすでに15年経っている。

 

ガンダム30周年がこないだだと思ったら、今やガンダム40周年が過ぎ去りはや2年...。

50周年が見えはじめていることがおそろしや。

 

話がそれてきた。

時の流れとともに私たちの手に入る情報は日々膨大なものとなって手に負えない状態にまで来ていると思う。

迫りくる情報の塊を処理するツールとして「スマホ」が活用されている面がある。

ただ、果たしてそこまで情報を「処理」しないといけないものなのだろうかとも思う。

 

20年前頃(2000年)のインターネット、はひたすら遅かった。

もちろん「スマホ」なるものは無いし、ノートPCのパンフレットの表紙ではビジネスマン風の人が今となっては分厚く重そうな(色々と重い)ノートPCを手にもってポーズをきめていた時代。

 

この頃は「メールを受信し終わったら、インターネット代金の節約のために通信をオフにする」など短時間の接続で済むような技が雑誌等で紹介されていた。

今では考えられないと思う。

「月〇〇時間のインターネット接続」の契約形態があったのもこの頃。

ascii.jp

 

現代のようにひたすら情報があるわけではなくあるわけではなく、通信に時間がかかればかかるほど調べることに時間がかかればかかるほどお金なり時間なりがかかっていた。

当時は画像の多いサイトは敬遠されがち(全体の表示に時間がかかる)ため、テキストが多めだった。

とてもじゃないけれど「動画」は難しいものだった。

 

使い放題の契約が主流になる以前、人々は各々が必要な情報を手に入れるためにあれこれ工夫しながらインターネットを使用していた。

そのことが「昔のインターネット時代の人々はすごいんだぞ」「今の人たちは努力をしていない」と言いたいわけではない。

インターネット自体の速度は速くなり、インターネットへの接続する端末も多岐にわたった今、各々が手に入れたい情報は20年前より早く速く手に入るようになっているはず、と思った次第。

 

ところが、なんだかその情報の源であったり情報を調べるツールの部分が、複雑化し多岐にわたりかえって使いにくくなっているような気がしている。

インターネットを使うのに「コツ」が必要になっている気がする。

 

情報がプールされているサイトを「ニュースサイト」とするなら、山ほどにニュースサイトがあるし、「動画サイト」も今やあちらこちらにある。

自身の興味のある分野に対象を絞っても、該当するサイトの情報すべてを閲覧するのは時間的に無理だと思うし、次の日になったらまた異なる情報が入り乱れている状態になっている。

 

情報の塊も、ある程度まとまったものよりぶつ切りになった情報が小分けにして流れてきているような気もする。

(ただ、インターネットにおける広告収入の観点からある程度は致し方なく感じる)

 

インターネットが「趣味」の面が強かった時代から、「ビジネス」の面へ移行していったのだろうなぁと感じる今日この頃。

「IT革命」という言葉のITも今や「ICT」へ変化し今度は何に変化するのかはわからないけれど、人間はそこまで急激に進化していないから手に入れることの情報の量には上限がある。

 

あれから20年されど20年。

「情報と上手くつきあう能力」というものが、より一層今後必要になりそうな気がする、という感想で『お題「わたしとインターネット』を終わりたいと思う。