あした思い出すよう

あさってもその次も

ゲームは1日○○時間、的な【ダラダラしたい】

ゲームは1日○○時間

 

どこかで聞いたことのあるようなフレーズだろう。
ゲームの時間を管理したい(親など)から発信されることの多いフレーズだろう。

 

親→子
この流れに現在該当しない人には、関係ないかといえばそうでもないかもしれない。
というのも「○○は1日〇〇時間(分)」は自己を管理するのにも有効だからである。

 

ダラダラって良いよね

人はダラダラしがちな生き物である。
『ダラダラしないぜ!』というそこのあなた。
素晴らしい!。存在がgratefulだよ。教えを請いたい。

 

ただ、「ダラダラ○○をおぼえる」「ダラダラ○○する」というのは効率が悪いきがする。
「ダラダラする」と決めて行う「積極的ダラダラ」ならリラックス効果が大なり小なりありそうだけれど、「ダラダラ...してしもうた...」な「非積極的ダラダラ」はなんだかもったいないなぁと。

 

〇〇は1日○○時間(分)

「はてな」だったら『はてなは今日45分!』。
「You Tube」だったら『You Tubeは今日1時間!』。

 

そんな感じで動作を始めたい。
(実際に終わることができるかどうかはまずはさておき...)

 

私自身、なんだか『時間を意識する』ことがおざなりになっているのよね。

 

手始めに...

『はてなは今日45分!』

 

45分...ながいかな?
とりあえず時間を区切っていくことを意識しないと際限なくダラダラしそう。
時間を意識しないといかんなぁと思う今日このごろ。